Question
Aggiornato il
26 giu 2022
- Inglese (Stati Uniti)
-
Giapponese
Domande Giapponese
こんにちは。
『助詞の「は」:主題を示す。文が何について(のみ)語っているか、あるいは何かとの対比を示す。』の文章については、『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比を示す。』と『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』の両方は本当に『文が何について(のみ)語っているか、あるいは何かとの対比かを示す。』と同じ意味ですか?
私にとっては、『文が何について(のみ)語っているか』がここで間接疑問文なので『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比を示す。』に『AかB』という文法を当てはめることができないから、その文章は『あるいは』なしで成り立ちません。
そして、『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』については、『文が何について(のみ)語っているか』がここで間接疑問文なので、『何かとの対比か』もここで間接疑問文である気がしますが、『何かとの対比かを示す』の意味は『何かとの対比を示す』の意味と異なると思います。どうでしょうか?
こんにちは。
『助詞の「は」:主題を示す。文が何について(のみ)語っているか、あるいは何かとの対比を示す。』の文章については、『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比を示す。』と『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』の両方は本当に『文が何について(のみ)語っているか、あるいは何かとの対比かを示す。』と同じ意味ですか?
私にとっては、『文が何について(のみ)語っているか』がここで間接疑問文なので『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比を示す。』に『AかB』という文法を当てはめることができないから、その文章は『あるいは』なしで成り立ちません。
そして、『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』については、『文が何について(のみ)語っているか』がここで間接疑問文なので、『何かとの対比か』もここで間接疑問文である気がしますが、『何かとの対比かを示す』の意味は『何かとの対比を示す』の意味と異なると思います。どうでしょうか?
『助詞の「は」:主題を示す。文が何について(のみ)語っているか、あるいは何かとの対比を示す。』の文章については、『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比を示す。』と『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』の両方は本当に『文が何について(のみ)語っているか、あるいは何かとの対比かを示す。』と同じ意味ですか?
私にとっては、『文が何について(のみ)語っているか』がここで間接疑問文なので『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比を示す。』に『AかB』という文法を当てはめることができないから、その文章は『あるいは』なしで成り立ちません。
そして、『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』については、『文が何について(のみ)語っているか』がここで間接疑問文なので、『何かとの対比か』もここで間接疑問文である気がしますが、『何かとの対比かを示す』の意味は『何かとの対比を示す』の意味と異なると思います。どうでしょうか?
Risposte
- Giapponese
> 私にとっては、『文が何について(のみ)語っているか』がここで間接疑問文なので『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比を示す。』に『AかB』という文法を当てはめることができないから、その文章は『あるいは』なしで成り立ちません。
これは、その通りです。
この場合の「か」は「AかB」の「か」ではなく、間接疑問文の「か」です。
もし、「AかB」の形をつかうのなら、
「文が何について(のみ)語っているか、か、何かとの対比を示す」としなければならないことになりますが、「か」が続くと読みにくいので、実際にはこのような形にはせずに、「A あるいは/または/もしくは B」の形にします。
> 『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』
これも、このままだと、文法的におかしいです。
「何かとの対比かを示す」が後の文に来る場合、
「AかBかを示す」という形で使わなければなりません。
仮に、
「文が何かについて(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。」
のように、前の文を「何かについて」とすると、前の文は間接疑問文ではなくなり、
「AかBか」の形になります。
「AかBか」という形は、Aであるか、Bであるか、どちらなのか(whether A or B)というニュアンスになります。
形としては、正しい日本語になりますが、格助詞「は」の説明としては不適切ですね。
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
分かりました。ですが、『AかBかを示す』という形を除いては、『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』では、ここで『何かとの対比か』を間接疑問文と見做すのは本当にあり得ませんか?(『彼がここにいるのか知らない。』の『彼がここにいるのか』も間接疑問文です。)
私は『何かとの対比かを示す』を『何かとの対比か(どうか)を示す』と理解しますので、ここで『何かとの対比か』を間接疑問文と見做します。
つまりは、形としては、ただ二つの間接疑問文が並置されているだけですが、もちろん助詞「は」の説明としては不適切になります。私の考え方はどうでしょうか?
分かりました。ですが、『AかBかを示す』という形を除いては、『文が何について(のみ)語っているか、何かとの対比かを示す。』では、ここで『何かとの対比か』を間接疑問文と見做すのは本当にあり得ませんか?(『彼がここにいるのか知らない。』の『彼がここにいるのか』も間接疑問文です。)
私は『何かとの対比かを示す』を『何かとの対比か(どうか)を示す』と理解しますので、ここで『何かとの対比か』を間接疑問文と見做します。
つまりは、形としては、ただ二つの間接疑問文が並置されているだけですが、もちろん助詞「は」の説明としては不適切になります。私の考え方はどうでしょうか?
- Giapponese
そうですね…2つ問題があると思います。
まず、一般的な話として、間接疑問文に限らず、二つの文が「、」で並列されて、「示す」のような一つの動詞につながることはあり得ますが、文法としては「、」でつなぐのではなく、「あるいは」等の接続詞でつなぐのが基本で、ほとんどの場合はそうしたほうが自然です。
ただし、並列されるものが、ほとんど同じ内容である時は、「、」で並列しても不自然ではありません。
(最後に例文を書きます)
もう一つの問題は、文法上の問題ではないのですが、
「何について語っているか」
と
「何かとの対比か」
は、両方とも間接疑問文であるとはいえ、疑問文の種類が違うので、仮に接続詞を入れたとしても、並列すると不自然になってしまいます。
「何について語っているか」というのは、疑問詞を使った疑問文です。英語ではwhatを使う疑問文になります。
「何かとの対比か」というのは、「何か」という言葉が入っているのでわかりにくいですが、疑問詞を使った疑問文ではなく、単純な疑問文です。この場合の「何か」は、英語ではsomething elseの意味になります。
「何について語っているか」は
What is it about?
ですが、
「何かとの対比か」は
Is it compared to anything else?
です。
このように、異なるものが並列されて、「を示す」という一つの動詞につながることは、現実的に起こる可能性が低く、ほとんどの場合、不自然な文になってしまいます。
もしこれが
「何との対比か」
What is it compared with?
なら、疑問詞を用いた疑問文が並列されることになり、不自然ではなくなります。
以下、例文です。
「何について語っているか、(あるいは)何かとの対比かを示す」→ 大きく異なるものが並列されていて不自然
「何について語っているか、あるいは誰について語っているかを示す」→自然
「何について話しているか、あるいは何について書いているかを示す」→自然
「何について話しているか、何について書いているかを示す」→ 前後の文がほとんど同じような内容なので、「あるいは」がなくても自然
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
分かりましたmanahoさん。
1)『二つ問題があると思います。』は『問題が二つあると思います。』と同じですか?
2)『何について語っているか、(あるいは)何かとの対比かを示す』については、大きく異なるものが並列されていて不自然に感じるとはいえ、そもそも助詞「は」の説明の点だけから見て不適切にはなりませんか?
私にとっては、間接疑問文の『何かとの対比か』は意味的に『何かとの対比を示す』と違いますので、元々不適切だと思います。どうでしょうか?
分かりましたmanahoさん。
1)『二つ問題があると思います。』は『問題が二つあると思います。』と同じですか?
2)『何について語っているか、(あるいは)何かとの対比かを示す』については、大きく異なるものが並列されていて不自然に感じるとはいえ、そもそも助詞「は」の説明の点だけから見て不適切にはなりませんか?
私にとっては、間接疑問文の『何かとの対比か』は意味的に『何かとの対比を示す』と違いますので、元々不適切だと思います。どうでしょうか?
- Giapponese
@CharAznable
1はその通りです。
2についても、その通りだと思います。
たしかに、
「何かとの対比を示す」と「何かとの対比かどうかを示す」というのは、全然意味が違いますね。
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
分かりました manahoさん。実は、他の問題があるので、ご意見が必要だと思います。
『弟を迎えにやらせてください。』では、『やらせる』の意味は全く分かりません。意味は何でしょうか?
そして、『AにBを迎えに行かせる。』では、『Aに』は分かりません。『行く』は自動詞なので、使役の対象は『を』で示されるはずです。なので、『Aを、Bを迎えに行かせる』であるはずです。どうでしょうか?
分かりました manahoさん。実は、他の問題があるので、ご意見が必要だと思います。
『弟を迎えにやらせてください。』では、『やらせる』の意味は全く分かりません。意味は何でしょうか?
そして、『AにBを迎えに行かせる。』では、『Aに』は分かりません。『行く』は自動詞なので、使役の対象は『を』で示されるはずです。なので、『Aを、Bを迎えに行かせる』であるはずです。どうでしょうか?
- Giapponese
> そして、『AにBを迎えに行かせる。』では、『Aに』は分かりません。『行く』は自動詞なので、使役の対象は『を』で示されるはずです。なので、『Aを、Bを迎えに行かせる』であるはずです。どうでしょうか?
使役の対象者については「を」または「に」を使います。たしかに、自動詞の場合には「を」、他動詞の場合は「に」という場合が多いと思いますが、自動詞でも「に」を使うことはあります。
たぶん、日本人は、もっと単純に考えていて、「を」が2回続くことを避けて使っているだけです。
結果的に、他動詞の場合は「に」を使うことになります。
この問題の場合は、少し違うところに、ポイントがあります。
「行く」は自動詞ですが、「迎えに行く」は、誰か、迎える相手が必要なので、「を迎えに行く」の形で使う他動詞だと考えるべきなのです。
go は自動詞ですが、go to meet … となると他動詞になるというのと同じです。
「迎える」が他動詞だからという考え方でも良いと思います。
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- Giapponese
> 『弟を迎えにやらせてください。』では、『やらせる』の意味は全く分かりません。意味は何でしょうか?
あまり、「迎えにやらせる」とは言わない気がします。
「迎えにやる」なら、漢字で書くと「迎えに遣る」となり、「迎えに行かせる」という意味になります。「やる」自体が「行かせる」という意味なので、「やらせる」とすると、少しおかしい気がします。
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
「を迎えに行く」については、「迎える」が他動詞だからこそ「を迎えに行く」はあり得ると思います。しかし、「迎えに行く」全体を他動詞と見做すのはいいですね!
1)『結果的に、他動詞の場合は「に」を使うことになります。』については、『行く』は自動詞ではないでしょうか?
2)『この問題の場合は、少し違うところに、ポイントがあります。』では、『少し違うところに、ポイントがあります。』の意味は分かりませんでした。英訳は何でしょうか?
3)『AにBを迎えに行かせる。』と『Aを、Bを迎えに行かせる』については、分かりました。ならば、『AにBを迎えに行かせる。』は『AがBを迎えに行くようにする。』と同じ意味ですか?
4)『AにBを迎えに行かせる。』と『Aを、Bを迎えに行かせる』のどちらのほうが適切(または自然)だと思いますか?
「を迎えに行く」については、「迎える」が他動詞だからこそ「を迎えに行く」はあり得ると思います。しかし、「迎えに行く」全体を他動詞と見做すのはいいですね!
1)『結果的に、他動詞の場合は「に」を使うことになります。』については、『行く』は自動詞ではないでしょうか?
2)『この問題の場合は、少し違うところに、ポイントがあります。』では、『少し違うところに、ポイントがあります。』の意味は分かりませんでした。英訳は何でしょうか?
3)『AにBを迎えに行かせる。』と『Aを、Bを迎えに行かせる』については、分かりました。ならば、『AにBを迎えに行かせる。』は『AがBを迎えに行くようにする。』と同じ意味ですか?
4)『AにBを迎えに行かせる。』と『Aを、Bを迎えに行かせる』のどちらのほうが適切(または自然)だと思いますか?
- Giapponese
1. 「行く」は自動詞です。しかし、問題の場合、「迎えに行く」なので、「行く」という自動詞ではなく、「迎えに行く」という他動詞だと考えるのが良いと思います。
2. それは、In this case, the most important point is slightly different. のような意味です。
お伝えしたかったのは、「行く」が自動詞でも「迎えに行く」は他動詞として扱うのが重要だということです。
3. はい、だいたい同じ意味です。let A go to pick up Bのような意味になります。
4. 自動詞、他動詞のルールで考えると、「AにBを迎えに行かせる」が正しいです。
また、「AをBを迎えに行かせる」は間違った日本語です。
ちなみに、日本人は、自動詞か他動詞かということはまったく考えません。
単に「AをBを迎えに行かせる」とか、「Aに駅に行かせる」のような、「を」が続く形や、「に」が続く形をつくらないようにしています。
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Leggi ulteriori commenti
- Giapponese
1, 2, 3 その通りです。
4. 「なってしまう」ですが、「ある」でも構いません。意味は変わりません。
5. はい、同じです。
6. a あり得ます。ただし「万が一そんなことが起こったら」「万が一にもそんなことが起こったら」とするのが普通です。
b 否定文なら「も」は必要だと思います。
7. そういう理解でも良いと思いますよ。先日、そのWiktionary のページを初めて見たとき、細かく分類しすぎている気がしました。もっと大雑把に分ければ、5や8は、4と同じグループになると思います。
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
4)『10,000回のうち、9,999回は、「そんなことは『ある』」ことになってしまうからです。』では、『10,000回のうち』も『なってしまう』に係っていますか?
そして、『9,999回は』の『は』はここで、少なくとも満たす基準を示しますか?私は、その『は』が『70点は取った。』と『少しは本でも読もうか。』の『は』と同じだと理解しましたが、どうでしょうか?
4)『10,000回のうち、9,999回は、「そんなことは『ある』」ことになってしまうからです。』では、『10,000回のうち』も『なってしまう』に係っていますか?
そして、『9,999回は』の『は』はここで、少なくとも満たす基準を示しますか?私は、その『は』が『70点は取った。』と『少しは本でも読もうか。』の『は』と同じだと理解しましたが、どうでしょうか?
- Giapponese
「10,000回のうち、9,999回は」が、一つのまとまりです。
「は」については、「70点は取った」の「は」とは、違います。
「最低でも9999回」という意味ではありません。
「万が一」は、1/10,000 のことです。
「1回『なってしまわない』のに対して、「9999回は『なってしまう』」
あるいは、
「1回『ない』のに対して、「9999回は『ある』」
ということなので、以前引用されていた、
「文が何について(のみ)語っているか、あるいは何かとの対比を示す。」
の用法です。「対比」ですね。
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
分かりました。より明確です。『9,999回は』の『は』は対比を表しましたね。そして、『10,000回のうち、9,999回は、「そんなことは『ある』」ことになってしまうからです。』では、『10,000回のうち』の『うち』という副詞的な名詞は『9,999回は』と同じように『なってしまう』または『ある』に係っていますよね?
分かりました。より明確です。『9,999回は』の『は』は対比を表しましたね。そして、『10,000回のうち、9,999回は、「そんなことは『ある』」ことになってしまうからです。』では、『10,000回のうち』の『うち』という副詞的な名詞は『9,999回は』と同じように『なってしまう』または『ある』に係っていますよね?
- Giapponese
「のうち」は、接続詞の一種です。
範囲を示しています。
「10,000回のうち」と「9,999回は」が別々に、動詞を修飾するわけではなく、「10,000回のうち、9,999回は」が一つのグループになって、動詞を修飾します。
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
ならば、賛成しません。なぜならば、『10,000回のうち、そんなことがある』は単独で成り立つからです。そして『9,999回は』は新しい情報として『ある』という動詞を修飾します。
一つのグループだったら、「10,000回のうちの9,999回は」であるはずです。
ならば、賛成しません。なぜならば、『10,000回のうち、そんなことがある』は単独で成り立つからです。そして『9,999回は』は新しい情報として『ある』という動詞を修飾します。
一つのグループだったら、「10,000回のうちの9,999回は」であるはずです。
- Giapponese
これは、賛成するとか、反対するとかというような問題ではないでしょう。いったい、何のために私に質問しているんですか?
賛成しないというのなら、放っておこうかと思いましたが、一応、説明しますね。
「10,000回のうち、そんなことがある」というのは、単独では文として成立しません。
たとえば、「3回のうち1回は成功します」という文の場合、
「1回は成功します」は一つの文として成り立ちます。
「3回のうち成功します」は文として成り立ちませんよね?
> 一つのグループだったら、「10,000回のうちの9,999回は」であるはずです。
日本語でも英語でも、いろいろな言い方があるでしょう。
「10,000回のうちの9,999回は」
「10,000回のうち、9,999回は」
意味は変わりません。
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
文によってはもちろん結論は変わりますね。『ある3回のうち1回は成功します』では、『1回』は『成功します』のための重要な情報です。取り除けば、もちろん文の意味は非常に分かりにくくなります。
ですが、『10,000回のうち、そんなことがある』では、別問題です。10,000回のうちに(Out of 10000 cases)、そんなことがありますが、起こる頻繁さはただ分からないだけです。起こる頻繁さを知らなくても文の意味は分かります。そして、その起こる頻繁さという情報のために『9999回は』は単に修飾語として付け足されます。私の理解は、どこに問題があると思いますか?
文によってはもちろん結論は変わりますね。『ある3回のうち1回は成功します』では、『1回』は『成功します』のための重要な情報です。取り除けば、もちろん文の意味は非常に分かりにくくなります。
ですが、『10,000回のうち、そんなことがある』では、別問題です。10,000回のうちに(Out of 10000 cases)、そんなことがありますが、起こる頻繁さはただ分からないだけです。起こる頻繁さを知らなくても文の意味は分かります。そして、その起こる頻繁さという情報のために『9999回は』は単に修飾語として付け足されます。私の理解は、どこに問題があると思いますか?
- Giapponese
言いたいことはわかりますが、文法的におかしいので、日本語の文としては、成立しません。
さきほど、わざわざ、接続詞の一種だということまで書いたので、なぜ文法的におかしいのかということは、あなたにならわかるはずです。
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- Inglese (Stati Uniti)
@manaho
まあ、実は接続詞の一種ではないと思います。副詞的な名詞だけです。
https://www.weblio.jp/content/%E3%81%86%E3%81%A1
ですが、文法的には『うち』という副詞は『9999回は』という連用修飾語(副詞)を修飾できます。それは大丈夫です。ただ、私にとっては、その意図ならば『10,000回のうちの9999回は』のほうが遥かに明確だけだったと思います。『10,000回のうち、9999回は』という言い方は雑誌やニュース番組などで文字節約のために多く使われていますが、ここではニュースではないですね。
まあ、実は接続詞の一種ではないと思います。副詞的な名詞だけです。
https://www.weblio.jp/content/%E3%81%86%E3%81%A1
ですが、文法的には『うち』という副詞は『9999回は』という連用修飾語(副詞)を修飾できます。それは大丈夫です。ただ、私にとっては、その意図ならば『10,000回のうちの9999回は』のほうが遥かに明確だけだったと思います。『10,000回のうち、9999回は』という言い方は雑誌やニュース番組などで文字節約のために多く使われていますが、ここではニュースではないですね。
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